自己紹介

40歳になって、久しぶりの健診で子宮頸がんが発覚。 2011年1月に円錐切除術をおこない、上皮内腺がん(腺がん 0期)と診断されました。 治療記録もかねて、日々のことつらつら書いてきます。

2012年1月31日火曜日

石巻 最終作業日

「鮫の裏」という海沿いのこれまた小さな漁村で、Aさんの依頼により、カキの貝殻の選別がお仕事。

貝殻は、ホヤの養殖につかわれる。
貝殻を数珠つなぎにして海に水深6-7メートルに沈めると、ホヤの卵がつくんだって。


だけど、津波でホヤの卵が流されたかもしれないので、人工的に種付けをするらしい。
これは初めての試みで、ホヤが売れるように育つまで4年。
その間無収入。
不安でたまらないが、やってみるしかない。


選別するっていったって、20㎡四方に貝殻の小山が6つほど。貝殻を一枚一枚選別するには気が遠くなるような作業だ。
1まいずつコツコツ、コツコツ。

はたけづくりとは違い、身体を動かさないので寒さがじんじん。
5人以上で作業しても一山の半分もいかない。

おじさん一人でしなければならないとしたらどうなるだろう?

Aさんの奥さんと娘さんが焚き火をたいて、地元でいう「どんこ汁」をつくってくれた。野菜、魚、たっぷりのニンニク。
くはーっ、たまらん。





私が、「このメンバーはオーストラリアからきた。」とAさんに伝えると、
ちょっと待ってろ、と車から大切そうにビニールにくるまれた写真数枚を取り出して見せてくれた。
友人のオーストラリア人夫婦 が遊びにきたときに、玄関前で取った写真。

家は流されちゃったけどなー、ガハハ

そういいながら、嬉しそうにオーストラリア人の友人の話。
それから、イギリス人の夫をオーストラリア人と思ったのか、

な、オーストラリアの友達から連絡きたら、あんたにも連絡するから、必ず連絡するから。な。

なぜだか切なくなる。


奥さんはにこにこしながらいった。

あの人、やっと笑うようになったんよ。 この前まで本当に笑わんかったの

それから、お孫さんのことを教えてくれた。

うちの孫ね、震災の直後に生まれたの。
娘が臨月でこっちに戻ってきててね。

春希

春に希望を持って生まれたから。

あの子が私らの希望の星。
すくすく育つのを見てると頑張りゃなーと思うのよ。

石巻 その3

ある日は、雄勝町で畑づくり。

雄勝町は本当に海に面したところで、背後は山だ。
壊滅的な被害を受けた。
ここら辺は最も復興の遅れている地域の一つということで、なるほど家の瓦礫もそのまま残っているところがかなりある。

裏の山の20㍍ほどの高さの木に、漁業用の網が引っ掛かったままだったりする。


私たちが作業している横で、
おばさんが、獲れたての魚介類をたっぷりのお湯でゆでてる。





 そしてゆであがったタコ。差し入れしてくれた。
切り分けてガブリよ。
味付けは海の塩味のみ。そのままでうまい!
つぶ貝もいただきます。
うまいうまい!
こんなもの、都会じゃ食べたことない。

途中、大雪が降り始めて一旦作業中断したものの、時間内に畑完成。



帰宅中、車からみた海は、それは穏やかで、それはそれは美しいのに。

石巻 その2

ある日は牡鹿半島の給分浜というところへ。
家をすっかり流された人の、その家の跡地に畑をつくるのだ。
危険すぎて、同じ土地に家はたてられないんだって。

それに畑づくりには、仮設住宅に引きこもりになりがちになる被災者に外にでる機会を作る、という意味がある。

周りには家はのこっていない。船が陸に残されたままだったりする。



まずは残っている瓦礫のや石を取り除く。
土をもり、その周りを拾ってきたブロックや石で囲む。土が流れないように。
更にその周りに、裏の山から切ってきた竹で作ったポールをたてる。

地ならしがおわったら、トラック3杯分の土と一杯の牛肥をまぜながら、10平方に平らになるようもっていくのだ。
これがなかなかの重労働よ。
これができた畑。


ここはおばあちゃんの家だった。
今はここから少し丘に上がったところの仮設にすんでる。
寒いから家に入ってください、っていっても、私たちとずっと畑にいた。


おばあちゃん、エルメスのスカーフして、香水つけてるのよ。
おしゃれを忘れないおばあちゃんに、私は心底感動した。

2012年1月30日月曜日

石巻 その1

某団体のボランティアプログラムに夫と参加し、石巻に1週間いってきた。
行く前は不安だらけだった。

私にいったい何ができるのか?

結果、いってよかった。

一人ではできないことも、人と力を合わせれば可能になる

それを心底実感した日々。

「忘れられることが一番つらい。」

そういった地元の人の言葉は忘れない。

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一日目。

早朝5:30に石巻の宿舎に到着。宿舎は被災した元製法縫工場で床はコンクリ、底冷えがする。
8:00 からさっそく作業場に向けて出発。


道路などが整備されているので、だいぶ復旧してきたんだーとおもっていたら、あちこち積み上がった車や瓦礫の山が。爪痕がまだまだ見える形でも残っている。
しかし。これでも4月にきた人によれば、まだまだましらしい。











今日の作業は、津波で横倒しになって運ばれてきた巨大ドラム缶のあるこれまた広い中央分離帯の整地。
このドラム缶、ニュースにも何度も登場しているので、ご存じの方もいらっしゃるだろう。

ここに花の種をまき、花で埋めつくそうという地元プロジェクトのお手伝い。



しかし老体にはきついぜ。



作業中に見つかった写真。今どうしているだろう?