自己紹介

40歳になって、久しぶりの健診で子宮頸がんが発覚。 2011年1月に円錐切除術をおこない、上皮内腺がん(腺がん 0期)と診断されました。 治療記録もかねて、日々のことつらつら書いてきます。

2012年2月20日月曜日

慶応病院 検査結果

先週の細胞診の結果を聞きに慶応病院へ。もうこの一週間は撃沈してましたわ。

今日もあまり待たずに、名前を呼ばれて診察室へ。
いいよ、新しい予約システム。

いっつも話を始めるまでにふた呼吸ぐらいあるT先生、今日は私が入るなり言ってくれました。

常ありませんでしたよ。

ひゃ~!
 「ほんとですか!ありがとうございます。」

T先生 「思わず検査室まで結果をみにいっちゃったよ。」だって。
すみません、ありがとうございます。
私が先週泣いちゃったからですよね。

一瞬ほっとしたけど、なんだか安心ができない。疑問がむくむく湧いてくる。

私 「生、検診で腺異型性が出ているのに、異常がないんですか?

T先生 「検診結果に腺異型性とはなかったでしょ。「腺細胞異常」とあったはずだよ。

私 「細胞異常ってなんでしょうか。術後の反応性変化って診断結果にあったと思うんですけど、「反応性変化」ってなんでしょうか?
「反応性変化」をかなりググってみてはいたのですが、あまりWebには説明がなく実像が全然つかめなかったのです。Webの限界ですね。

 

T先生 「うーん、説明するとながくなるんだけどね・・・
と紙に腺細胞異常の形態の一覧を書いてくださり、その1つが「反応性変化」だと説明を・・たぶん。間違ってたらすいません。
わかったような、わからないような。

T先生 「ですから、不妊治療のほうは続けていただいて結構です。次の検診は・・・

別に先生の検査結果を疑っているわけではありません。しかし、やっぱりまだ安心できなかったんですね。

本当に大丈夫なんでしょうか。」ともう一度確認しました。

すると

T先生 「この後もう少し検査をしたいのなら、MRIもできます。
僕はそれより、はやく不妊治療を進めたほうがよいと思うけど。MRIで検査をして少しでも異常があれば、体部の検査をしますが、その検査はかなり痛いし、その検査で子宮内部が傷ついて妊娠に影響が無いともいえない。

Sakanaさんは、妊娠と自分とどちらを優先したいですか?」

えっ。
先生、それは随分核心に迫ったご質問を。


そんなん聞く?答えられないよ~、って一瞬思いましたが、
実は答えはもう自分の中にあったみたいです。以外とすんなり出てきた言葉はこうでした。

私  「自分を大切にします。私は妊娠より治療を優先します。MRI受けます。検査してください。」

T先生 「そうですが、わかりました。じゃ、MRIの予約をとりましょう。」

サブの先生がMRIの予約を取ってくれる。結構時間がかかってるみたいで、T先生が話しかけてくれる。

T先生 「不妊治療の法はどうなの?」

私 「はい、顕微しができない、っていわれて。1回目は顕微でも授精しなくて、2回目でやっと1っと授精したんですけど、まぁこのことがあったのでいま凍結してもらってます。」

T先生だからか、いつになく饒舌に答える。
こんな不妊治療について親にもいったことないし、ましてや友達にもいったことない。

再発のこととかも聞いたんだけど、なんだか忘れちゃってる。
そんな会話の中で、先生がぽつっといいました

人生、なかなか思うようにはいかないねぇ・・

そうですねぇ
なんだかしみじみとしてしまいました。

MRIは結構込んでいて、3/6にとることになりました。

帰り道、自分でいった「自分を大切にします。」という言葉を反芻していました。

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2012年2月13日月曜日

慶応病院へ

慶応病院に、区の検診結果もって診察してもらいに行ってきました。

T先生 「はい、今日は細胞診ですね。」

私 「えっとですね、実は区の検診があって検査してもらったんですが、3aがでてしまって・・。」
検査結果の紙を先生に渡しました。

結果表を受け取りながら、先生の表情が一気に曇ったのがわかります。

T先生「3aがでたの?・・・
そうっか、でも前にいったことあるよね、子宮を残せばそういう危険性はあるんだよね。」

そうですね、それは聞いてました。
先生、でもね、まさかね、私、再発する可能性あるって知ってたけど、なんでかしらないけど、
自分の中ではなんとなくこのまま何も起こらず終わる気がしてたんです。

T先生「Sakanaさんは、円錐切除でかなりとっていますから、次は円錐切除はできませんね・・・」

思いがけず、ぽろぽろ涙がこぼれてきました。

「泣かれちゃってもね。」

すんません、先生。泣くつもりなかったんですけど、どうも一気に気が緩んだみたいです。
看護婦さんがそっとティッシュの箱をもってきてくれたので、遠慮なくぶぶーっとふきました。

T先生 「とりあえず細胞診します。その結果をみてからまた話しましょう。」

内診台で細胞診をしてもらったあと、
先生が
「とくに腺細胞に気を付けてみるように言っておいて」っと
指示を出しているのが聞こえました。

腺細胞。
こんくそやろう。

結果は来週です。

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2012年2月6日月曜日

慶応病院で検査予約を

さて、区の検診でまさかの「3a」
しかも「腺細胞異常を認めます」っていうダブルパンチをいただいてからというもの。

泣きました。

なぜ、なぜぇ?
手術してから先月でやっと1年が無事すぎて、お正月を両親と過ごしたときも
「去年はいろいろあったけど、大したことなくてよかったねぇ。今年はいい年になるねぇ」と母が繰り返しいっていたのに。

わたしは「再発しました」っていわなければならないの?
ほんとうにそうなの?

検診結果を受け取ってから1週間は現実を受け止められず現実逃避。
1週間以上たってから、慶応病院に電話し、4月の検診予定を変更して2月に予約をいれました。

お願いです神様。
再発などしていませんように。
間違いでありますように。

先月2回目の顕微授精でやっと1つ受精卵ができたとき。
不妊クリニックの先生に、

"検査で3aでました。こんど、慶応病院で精密検査する予定です。
なので、受精卵は凍結してください。"

といったら、先生が、ちょっとだまった後、

"そうですね、そうしましょう。
移植については、検査結果がでてから考えましょう。"

といわれました。

そのあとの受診日でも

"もし再発していたとしても、妊娠期間は持つのではないでしょうか?"

と焦る私に先生はこういいました。

"こんなことはいいたくないけど、妊娠できた、でも精密検査の結果がよくなくて、堕胎せざる負えなくなったらたまらないですよ。"

わかってます、先生。
私が42歳で焦っていることわかってて、でも事態を俯瞰してみればそういうことなんですよね。

でもね、でもね、いたたまれません。

このまま子宮を取ることになったら、せっかく授精した卵ちゃんはどうすればいいのかしら?
もう二度と私の中に宿ることはない、とわかっているのに
きっと私は破棄することなんかできなくて、じっと凍結卵をかかえて生きくのかしら。

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2012年2月1日水曜日

区検診 結果・・・・・まさか

石巻から帰ってきたその日、1週間ぶりに空けたポストには、区の検診で受けた子宮頚がん検診の結果が届いてました。

慶応病院では11月に検診があり、次が4月といわれました。なんとなく検診の間が開きすぎてねぇかと不安だったんですねぇ。

区の検診のお知らせがあり、慶応病院で3ヶ月ごとに検査してもらってるからしなくてもいいかな、と思っていましたが、去年私の状態を発見してくれたクリニックだから、と11月と4月の間、ちょう3ヶ月検診になるように1月に区の検診を申し込んだのです。

あー、わたし頭いい。
1月区の検診で見てもらえれば、4月の慶応で、結果3ヶ月ごとの検診になってるじゃん?

ということで、不妊治療の合間を縫って、区検診にいってきたのです。
*ここの検診は、なんであろうと1週間以内に子宮のエコー検査などをした場合は検査を受け付けてくれません。何かを挿入すれば子宮の細胞が通常の状態になく正しい検査結果が得られない、という理由からです。


その結果が届いたわけです。

もう、たらったたら~たら~です。 だって、慶応病院で3ヶ月ごとに検査してもらっていて異常ないわけですから、「異常なし」でまた安心、ぐらいに思っていたのです。

玄関からリビングに入り、びりっぃっと封筒を破いて開いた紙にはこうありました。

「class3a AGC 術後の反応性変化の範囲かもしれませんが、軽度の腺細胞異常を認めます。かかりつけの慶応病院を受診してください。担当医にこの紙を見せてください。」

サーっと血の気が引きました。

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