自己紹介

40歳になって、久しぶりの健診で子宮頸がんが発覚。 2011年1月に円錐切除術をおこない、上皮内腺がん(腺がん 0期)と診断されました。 治療記録もかねて、日々のことつらつら書いてきます。

2011年2月25日金曜日

今日はここ

パスタ瓶の中。パスタはどこいったんや~。





2011年2月24日木曜日

医療ドラマ

昔は「ER」などの医療ドラマが大好きだった。
手術シーンも病気の告知シーンもなんともなかった。

でも5年前、父と母がそれぞれがんを患ってから、医療ドラマが一切みられなくなった。
どんなに評判がよいものも、見られなくなった。
 がん治療は情報戦だともおもっていたので、父と母のがんに関する本や文献は読み漁った。
でも、病気に関するドキュメンタリーは、どうしても見ることができなくなった。

 それから、4という数字がダメになった。
意識的にとことん4という数字を回避するように行動するようになった。

今回、自分ががんになったら、医療ドラマが大丈夫になった。
きっかけは入院中に「救急病棟24時」を見たことだった。
いつもならすぐチャンネルを変えていたのに、なんか大丈夫そうな気がして、見続けた。
今は「Gray's Anatomy」にはまってる。
私の中でなんの変化があったのだろう。
なんかふっ切ったのかなぁ。

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2011年2月20日日曜日

横浜国際女子マラソン

今日は、横浜国際女子マラソン。

家は、山下公園から歩いて30秒のところにある。朝からヘリコプターなんかの音が響いていて、なにやらにぎやか。

せっかくなので、仕事から戻ってきた夫と
見に行った。

山下公園にはスクリーンが設置され、路上でも実況アナウンスが
聞こえる。

先頭グループがちょうどくるよ、っていうので
沿道で声援をおくる。

みなとみらいまで散歩しようかと思ったけど、
交通規制で自由に歩けないので、結局山下公園にもどって
ゴールをみよう、ということになる。

山下公園の氷川丸の斜め前ぐらいでランナーが帰ってくるのを待つ。

トップで尾崎好美が山下公園に入ってきた!写真とったけど、ちいさっ!隣のおっちゃんの頭と携帯だけがバッチり入り込んでるじゃん。
2位の中里が走りこんできたら、いきなりでっかい男の人に押しのけられた。
必死の形相で"中里、いけっぃ"て叫んでる。
押しのけられてむかっとしたけど、ベンチコートきて、コンピュータだかタイマー持ってて、
どうもコーチの人みたいだったんで、許すことにする。

次々とランナーが戻ってきたのをみながら、
明治屋によってワインを購入。
夕方からワインを飲みながら、ビデオ三昧でゆっくりした休日。






2011年2月18日金曜日

今日はここ

 ひどい。
ロウソクたてに突き刺さってた。

2011年2月17日木曜日

今日はここ

 
カーテンレールにぶら下がってました。
最近は逆さの刑が多いな。 

2011年2月13日日曜日

今日はここ

キャンドルホルダーに
突っ込まれていました。

2011年2月8日火曜日

術後3週間 2回目の診察 

今日は術後 3週間で2回目の診察、10:40〜11:40の予約枠だ。
前回の術後最初の診察(術後1週間)では、"病理検査の結果、追加治療なし"ということに喜び、検査結果の詳細についてはまったく聞かなかった。時が経つにつれ、追加治療なしの根拠はなに?と不安が増大。
不安を解消すべく、先生に聞きたいことがたくさんある。メモにまとめておいた。

今日も延々と待って、やっと呼ばれる。
前回の診察時に比べると人数が少ないが、今日は一人当たりの診療時間が長いみたい。
結局4時間待ち。

先生とやりとり

先生「調子はいかがですか?出血はありますか?
私 「軽いときの生理の3日目、4日目ぐらいの出血が続いています。
先生「そうですか。まず内診します。細胞診できるようならしますが、出血がひどいようだと細胞診はできないかな。じゃ、内診の準備をしてください。

私 「先生、ちょっと質問させていただいてもいいですか?
先生「はい、いいですよ。

私 「私は、上皮内腺がん、ということで確定なのですね。
先生「はい、そうです。

私 「円錐切除で切ったものを12等分にして検査すると伺いましたが、何箇所にがん細胞があったのでしょうか。
先生「・・」

先生、無言のままおもむろに立ち上がり、どこかに電話し始めた。
そして「あぁ、○○君?いまSakanaさんという患者さんの診察してるんだけど、組織の何箇所にがんがあったか知りたいって。ちょっと調べてくれる?
あれ、あれ、そういうことってカルテに書いてあるんじゃないの?
先生、回答を待っている間、
誰かにそういうこと聞けっていわれたの?
といってくる。
いえ、そういうわけではないんです。どんなもんだったのか、知りたかっただけなんです・・。お手間取らせてしまってすみません、すみません・・。
たいした情報でもないことを聞いてしまったのか、なんだか申し訳ない気分になる。だが、知りたいのだ。
T崎先生のほかにいつもはI藤先生がいるが、今日は、別の先生。無表情だ。
3人ぐらいいる看護士さんは、”大丈夫ですよ”というように微笑んでくれる。

で答えは結局
2箇所」。
ほんとうは、どのくらいの大きさで、スキップしていたのかとか知りたかったのだが、先生の様子を見てこれらはやめておく。

私 「がん細胞の悪性度というのでしょうか、未分化、低分化、中分化、といったものがあると聞きましたが、私のはどうだったんでしょう?」(未分化に近いほど悪性度が高いらしい)
先生(にが笑いして)
上皮内ですから、低分化ということはありません。」

次の質問。これが一番聞きたかい質問だ。自分の声がなんだか震えているのがわかる。

私 「追加治療をしない、という決定は、私たち夫婦の妊娠を希望する、ということを考慮したご判断でしょうか。妊娠を希望していなくても、追加治療しない、ということはかわらないのでしょうか。

先生「はい、かわりません。追加治療はしません。

そうか、妊娠希望だから、というわけではないのだ。安堵する。
あと1つだけ。

私 「腺がんの例は少ないと聞いたことがあります。慶応病院で、私と同様に追加治療しない場合の症例というのはいくつぐらいあるのでしょうか。

先生「おいおい、ぼくはコンピューターじゃないよ。すぐにはわからないよ。


病理の検査結果が1週間ででた理由


なんだかもっと聞きたいのに、先生がお疲れのようなのでここらで質問はやめた。

私 「すみません、前回はあんなに早く病理の結果がでるとは思っておらず、全然質問できなかったので・・・」
なんだか言い訳がましくなってしまった私。

すると先生
「だって、僕が、病理検査の結果がでるのは4週間後だっていったら、あなたとっても驚いていたでしょ。そんなにかかるんですかって。旦那さんは、”そんなもんだよ”っていってたけど。だから僕が急いでやってもらったんだよ。」

そうだったんだ!いい結果だったから早くに教えてくれたのかと思っていた。
先生が急がしてくれていたとは思ってもいなかった。ありがとうございます・・!


細胞診と内診の結果

内診をしてもらって、結局細胞診もできそうだ、ということで細胞診もしてもらう。
細胞診の結果になにかあれば、3週間以内に先生から連絡がある。なければ問題なし。
次回は、3ヶ月後。

お風呂は入ってよし。
夫婦生活はあと2週間は禁止。

今日は、最後の診察患者になってしまった。
診察を終わって廊下に出ると誰もいない。












----[追記 2011.05.17]------------------------------------------------

「追加治療しない」ということで喜んだわけですが、
これは標準治療ではありません。詳細は、以下で。
 「術後4カ月検診 -上皮内腺がんの標準治療について-


2011年2月6日日曜日

快気祝いの鉄板焼き

私の病理検査の結果が追加治療なし、ということで、両親が大変喜んでくれてお祝いのランチをしましょう、という。
私も夫も"鉄板焼き"というものを体験したことがなかったので、ここぞとばかりにリクエストしたところ、お台場のホテル日航東京の「銀杏」で乾杯ということになった。

追加治療がない、ということに不安を抱えていた私は、
お祝いしてくれちゃって、この後、やっぱり追加治療しましょう、って話になったら本当に申し訳ない、とちょいとブルーな気分ではあった。

しかし、手術はうまくいって、いまこうして健康を取り戻しているのだ。楽しもうではないか、と気分チェンジ。
お台場なんて、そうそう行くことがないので、ゆりかもめからの眺めが楽しい楽しい。
夫も私もおのぼりさん気分だ。

鉄板焼きも、ランチメニューとは思えぬ豪華なラインナップとボリューム。
う~ん、おいしい。
父も奮発してワインをマルゴーに!
焼き手とも会話が弾んで大満足。

こうして両親と夫と楽しく食事をいただける幸せを、しみじみとかみしめる。

鉄板焼きのテーブルには他のお客さんもいたし、焼き手もいたので、食事中に病気のことを話すことはなかった。
帰り際に父が
「手術をね、するまでっていうのは、それはなんともいえない気分だよね。
ぼくの場合も検査でわかってから手術するまで8ヶ月はあったからね。人には言わないけどね、その間は本当になんともいえずいやな気持ちのもんだよ。」
とボソっといった。

自分の弱みを見せたり、心情を吐露することがない父がいった言葉。
おそらく私に対しての慰労の気持ちと同情の気持ちからだろう。

ほんとうに心配かけてすみませんでした。

2011年2月5日土曜日

不妊クリニックをかえる

去年10月に子宮頸がんが見つかった後、なんやかんやで、まったく放置していた不妊治療。
でも、いままでかかっていた馬車道にある不妊クリニックには不信感がつのっていた。

なんていっても、不妊治療開始にあたり、子宮頸がんの検査をそこで受けたのに、結果がクラス1だったこと。
クラス2でも、クラス3でもない。クラス1だったのがまっことひっかかる。
先生、細胞診のときに、表面ペロっとなでただけじゃないの?

それから「子宮にポリープあるね、まぁ良性でしょ」
といったまま、不妊治療にはいったこと。
もし妊娠できたとして、ポリープが実は・・・だったってことになってたら、
どうしてたんだろう?
私もうかつだけど。

ということで、転院先は決めていないが、とりあえずこのクリニックで治療を続けることはやめよう。
徒歩でいけたので大変便利だったけど、信頼できない医者じゃしょうがない。
いままでのデータがあればそれをもらおうと思って、クリニックにいった。

1時間ほど待って名前を呼ばれる。
先生「はい、内診しましょう。今生理後何日目?」
というので、
私    「子宮頸がんになって先月手術を受けました。なので、不妊治療もその病院に変えたいので、いままでのデータがあればいただけないでしょうか。」
先生「は?子宮頸がん?円切したの?どこの病院?」
というので、慶応病院だと告げると、
「あっそう。データっていってもこんだけだけどね。」
と紙をぺらっと印刷して渡してくれた。

不妊についてちょっと聞きたいことがあったのでたずねたが
「ぼくに聞いてもしょうがないでしょ。意味ないし。慶応できいたら。」
といわれた。
まぁ、そりゃそうだな、とも思ったものの、
なんというか、やっぱり不愉快な対応だったので、やめて正解だと、心から思った。

追加治療しない、ということへの不安

円錐切除の病理検査の結果、T崎先生に"追加治療なし"というお言葉をいただいて、飛び上がらんばかりに喜んだ私。
両親もそのニュースをとても喜んでくれて、快気祝いをご馳走してくれるといっている。

しかし、私の心の中では、"追加治療なし"に対する不安がじわじわとこみ上げていた。
腺ガンということが引っかかっているのだ。

前回の診察では、病院が混雑しすぎていて、先生に詳しいことをぜんぜん聞いていない。

・一般に、腺ガンは、扁平上皮ガンと比較して予後が悪いとされているが、どうなのか?
ものによれば、上皮内腺ガン(0期)であれば、扁平上皮ガンと予後は同等ともされているが、これも本当か?

・断端面は陰性だったのか?
陰性だとしても、子宮側に残存があるとされる確率が20%ほどあると、治療ガイドラインにはあるが、そこらへんはどうなのか?

・円錐切除で切り取った頚部を12等分したときに、いくつがん細胞があったのか?

一番知りたいのは、

・追加治療をしないのは、私たち夫婦が子供を望んでいるからなのか。
つまり、子供を望まない場合は追加治療をする、という判断もあるのか。

ということ。

もし子供ができそうもないなら、実は追加治療したほうがよいのだろうか・・・!
考えがまとまらないまま、腺ガンに関する情報をネットで探すが、やっぱり情報が少ない!

日ごろは、なにか病気になったらQOLを第一にした治療を選択しよう、と思っていたのに、自分のことになると、(余計ぎみな)治療をしない、という選択がなかなか難しいことを実感する。

慶応病院の先生であった近藤誠医師が、最近、文春で"抗がん剤は効かない"という論戦を展開している。近藤医師の主張を知っていても(正しいか否かは私にはわからないけど)、じゃ私が"抗がん剤"の治療が必要だといわれたときに、それを用いないという決断ができるか。どうだろう・・。
追加治療をしないという選択も含め、治療方法の選択ってなんと難しいことなのだろう。