自己紹介

40歳になって、久しぶりの健診で子宮頸がんが発覚。 2011年1月に円錐切除術をおこない、上皮内腺がん(腺がん 0期)と診断されました。 治療記録もかねて、日々のことつらつら書いてきます。

2011年12月6日火曜日

こんな人間がいるのかと驚きました


こちらのブログ村には大変お世話になっています。

病気で不安の時、いろいろな情報を教えていただいたり、またブログを書く中でこのブログ村の方からいろいろコメントをいただいたりして、本当に励ましになりました。





その中で、以下のブログの筆者には驚きました。
のんびり闘う!?逃げる?!お台場観覧車
子宮頸がんの人はきっと不愉快になるかと思いますので読まれないほうがよいかと思います。



多くの子宮頸がん患者がお互いに励まし合い、情報を交換しているこのカテゴリに登録し、
子宮頸がん患者を不愉快にする発言をする無神経さ。


それに対してメールでの意見があったら、それに答えることは時間の無駄であるという姿勢。
まぁ、ブログですからね。いやならみなきゃいいんですよね。
私は二度とみません。


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慶応病院の待ち合い室でずっと待っていた時におこったことを思い出しました。


ある診察の日、もう4時間以上まっていたでしょうか。他の患者さんもずっと朝からまってまだみてもらえていませんでした。
待ち合い室には、いらいらした雰囲気が流れていました。


その中で、とてもはきはきしたおばさんが、
”私は8時からきているの。茨城からきているのよ。
でもあと30分でみてもらえないなら帰る”
看護士さんにそういきまいて大きな声で訴えてました。
待ち合い廊下でまっている100人以上はその成り行きをみまもっていました。


私も
”茨城からきてこんなに待たされるなんてお気の毒に”
と思っていました。


看護士さんとやりとりしていたおばさんは
あと30分ではみてもらえないとわかり、結局帰ることにしたようです。


待ち合い室を横切りながらこう言いました。


”いいのよ、わたしは「がん」じゃないから。死なないから。
だから帰っても大丈夫なの。だってわたしは「がん」じゃないから。


気の毒に思っていた私の心はサーとひきました。


待ち合い室で待っている人の中に、多くのがん患者がいたでしょう。
待ち合い室の奥には”がんセンター”もあります。


自分の病気を差別化するために、他の病気を差別する
デリカシーのなさ、想像力の欠如


あぁ、病気になって自身が苦しんでいるにも関わらず
結局他人の痛みはわからない人がいるんだ


という事実に驚きました。

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