自己紹介

40歳になって、久しぶりの健診で子宮頸がんが発覚。 2011年1月に円錐切除術をおこない、上皮内腺がん(腺がん 0期)と診断されました。 治療記録もかねて、日々のことつらつら書いてきます。

2011年1月23日日曜日

入院2日目 part3 -手術 -

「Sakana さ~ん、終わりましたよ~。」
声がする。
えっ、もう手術終わったんですか。
全身麻酔ってすごい。

最初に感じたことは、寒い、ということ。
寒い、寒い、と連呼していたら、なにかかけてくれました。
あの寒さはなんだったんだろう。

ストレッチャーに乗せられて回復室に向かう。
寝てるのでよく見えないが、他にも手術が終わったばかりの人がいる模様。先生が患者さんに話かけている声がする。
私の意識は結構しっかりしてるぞ。
私のそばには、麻酔医の先生がついている。

私「手術時間ってどのくらいだったんですか?」
麻酔医「ええと、36分ですね」
ほぼ予定通りとはいえ、短いですね~


麻酔医の先生、この後のことについて看護士さんと話してる。
私「今日はいくつ、手術するんですか?」
麻酔医「5つです。あと2つ。」
思わず、先生、大変ですね、お疲れ様です。っといったら
「いや~そういってくださる患者さんは少ないんです。うれし~な~。」
と喜ばれてしまいました。

足のバコバコが入ってない

しばらくすると、エコノミー症候群と同じ症状になることを防ぐためのエアーマッサージャーが足についていることに気がついたのが、どうやら、左足のほうが動いていない。
「あの~、足のバコバコ、左が入ってないみたいです。」
「あ~ごめんなさい。」
「あの~、今度は両方入っていないみたいです。」
「あ~ごめんなさい。」
「・・・」
私、意識しっかりあるからよかったですけど、うちの母みたいに術後に意識戻ってもうつらうつらして話せない人だったらどうすんでしょうか。
ちょっと不安になりました。

16:40  回復室から病室へ

どのくらいたったのでしょうか?
やっと回復室から病室に戻りましょう、ということに。もう意識ははっきり。
病室の前までストレッチャーで運ばれると、病室から、「かえってきた、かえってきた」という母とKちゃんの声が聞こえる。ばたばた二人が病室から出てきた。

病室でいつのまにかベッドに移され、酸素マスクがつけられる。

バルーン、いてぇじゃないか

担当医と看護士
「あら、バルーンが入ってないみたいです」
「あら、本当。」
なんて話してる。

「バルーンって何ですか。」
尿道カテーテルでした。

「ごめんなさいね、普通は麻酔が効いている内に入れるんですけど、Sakanaさん、麻酔の目覚めが早くて、あたふたして忘れてた。」
とあっさり。

ということで、ベッドの上で入れることに。うぉ~。痛ぇです。
麻酔効いてるうちに、入れておいてほしかった・・。

切ったものが・・

病室が整うと、母とKちゃんが戻ってきた。
直後に父も見舞いにやってきた。
とその直後に担当医の先生が、切ったものを持ってきてやってきた。
ホルマリン漬け。

「1.5cmの高さです。小さすぎず、大きすぎず、ぢょうどいい大きさ切れました。
これを検査に出して確認します。」

母とKは身を乗り出してみている。
先生がベットの脇み持ってきてくれて、私もじっくりみました。
なんか、こりっとしてる。いわば、ハツみたいな感じ?
夫が見なくてよかった。多分焼き鳥たべれなくなっちゃう。

父も病室の隅から動かず見ようとしない。
ふふ、男は弱いんだよねぇ。
母の手術のときも、父は摘出されたものをいきなり目の前に出されて固まって、なんだかその物体の向こう側みてたもんね。

担当医が去ったのち、私は、酸素マスクの下から手術室の様子を話していたのだが、術後休まないと回復が遅いだろうということで、3人は食堂へ。

しかし、これがなかなか寝れないのだ。
まず首を曲げられないため枕がなく、非常に寝にくい。
全身麻酔の場合、気道を確保するための管が入るので喉が痛くなるかも、といわれていたが、喉の痛みはほとんどない。全身麻酔をかけた後におこる、という吐き気もない。
そのかわり、ハラが痛い
半端なく痛い
生理痛のかなり重いバージョンといえばよいだろうか。

看護士に痛みを訴え、ボレタリンの座薬を入れてもらう。
大人になって座薬を入れてもらうのは初体験。
恥ずかしがってる場合じゃない。
でも痛みはとれず。
検温やら血圧測定やらで看護士の出入りが結構あって、寝れない。

18:45

これからデートよん、と帰宅したKちゃんと入れ替わりに、夫がやってくる。
私の姿を見るなり泣きそーな顔をして、ベッドの脇に座り込んだ。
点滴だとかカテーテルとか管が体から出てて、マスクもしてたんで、見た目が痛々しかったらしく
かなりショックを受けてる。
私の手をずっとにぎってくれる。

19:00

夫が来たことを見届けて、父と母が帰宅。
テレビで「ぴったんこカンカン」を夫とみる。
今日は安曇アナが高島政伸親子と、中華街をまわってるじゃん。
私の家は、中華街は3分のところにある。アツアツの肉まんだとかルーロー飯だとか次々映し出されて、う~んおいしそう。
退院したら行きたいところリストに、入れることにする。
それにしても安曇はおもしろい。

しっかし、下腹部の痛みがとれない。
看護師に訴えるものの、胃が荒れることを懸念した担当医が、
「我慢してくださいね。」と薬を追加してくれない。
もう一人の担当医にも訴えたが
「痛いですか?ま、そういうもんです。
お前はこの手術受けたんか。と、ちょっとむっとする。

20:30

夫、帰宅。
この日も自宅近くのいきつけの居酒屋でから揚げと日本酒を味わったようだ。

21:00 消灯

酸素マスクがとれた!
水も飲んでよいとのこと。
マイスリーと水を飲んで就寝。
でも2:00頃目がさめちゃったので、マイスリーもう一錠追加。
枕がないとこんなに眠りにくいとは。

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